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保存樹木という札のつけられている太い桜の樹が団地内に多いです。団地内の石畳み式の歩道を散歩していましたら、歩道と平行して青いリボンが地表に約2mおきに差し込まれていました。多分保存樹木を護るためにフェンスが立てられるのではと想像しています。これらの保存樹木の外側には既に垣根がありますが、中側にも垣根が必要なのでしょう。保存樹木の近くに花見客が座り込んで樹の幹などを傷めないようにするためではないでしょうか。先日訪れた桜並木の近くで、桜の樹が切りとてられていたのはどういうわけでしょうか? 虫食いが原因で切り取られたにしては、きれいな切り口でした。
大寒の日にいなげやに買い物に行きましたら、発熱する靴下が目につきました。足が温まると、冬の散歩に良いかもしれないと思い買って帰りJoeにあげました。少し気になるのは、柔らかいようですが、案外締め付けるのではないかなということです。
明日は、午前中に眼医者と歯医者の両方に診察の予約がありますので、花小金井駅の近くにある眼医者には9時に新しい眼鏡を受け取りに、国分寺駅の近くにある歯医者には11時の歯の検診に行かねばなりませんので、道を間違えないように、予約時間に遅れないようにと思い、車を運転してとんぼ返りが無事に出来るか練習してみました。実は先週道に迷ってしまったので今度は間違えのないようにしたいのです。 テレビのニュースで年賀状ハガキの当選番号を聴きました。毎年郵便切手だけしか当たらないので、その当たり番号が下二桁の72と74であることだけはおぼえています。詳しくは明日の朝刊を見ましょう。
クリスマスカードの整理をしていましたら、あちこちから写真も送られてきています。その中にカナダに住んでいる卒業生の亜季さんから桜の花や日本の元旦に眺めるような日の出などの写真を送ってくださいました。同じ太陽の下に住んで、同じような自然の景色が見られるのは幸せですね。故郷は手元にあるのですね。桜の花が幾百本もカナダにも送られていたのですね。自然が人と人をつないでくれているですね。世界中の人に桜を見ていただきたいですね。亜季さんも寒さにまけず頑張って下さいね。
今日で阪神淡路大震災から十九年が経ったという。未だに悲しみから立ち直れない人もおられるでしょう。私はあの日の前日の夕方新幹線で東京から小倉に向かっていました。新幹線の窓から大阪の夕焼けが真っ赤で、その赤さが神戸まで続いていて、気持ちがわるくなるほどだったのです。小倉からローカル線で下関まで戻って、帰宅しましたとき、「ただいま」と言うかわりに、「猛烈に気持ちの悪い赤い空を見た!」といいました。そして夜明け方に阪神に強い地震があったのです。地震については何も専門的なことは知らないのですが、あの赤さが、電磁波か何かで地震を報せていたのかななんて思ったりしました。あのときの震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り続けております。
家の近くには「保存樹木」の印がつけられている桜の大木があちこちにあります。我が家にも大木級が二本あります。近くに桜並木があるので、今日の散歩の時に見てきました。みんなで二十三本の大木が並んでいました。桜が花をつけるころには、必ず見にいくつもりです。今日のニュースで沖縄に開花したことをしりました。それと今日が一年のうちで月が一番小さく見えると聴きました。それで暗くなるとかわいい満月を見るために外にでました。
「赤い靴」と言えば童謡に出てくる可愛そうな女の子を思い浮かべがちですが、この度出版された「赤い靴」は、私が在職中授業をうけもっていたクラスの学生さんの作品です。学生時代から、ペンを持って人の心を表現するのが上手でした。今回の本は彼女自身の心の真剣な活動の結果が出たものと思われます。それが詩というリズムに乗って読んだ人達の心にひびきます。
歯痛がなかなか治らないので歯医者に行きましたら、麻酔をして、歯石の掃除をしてくださり、痛み止めの薬と抗菌薬をくださいました。それに注意事項を書いたメモを下さいました。強い運動はしないこと、熱いお風呂に入らないことなどの注意ごとでした。それでも散歩はしました。ビワの花のつぼみが咲いていました。下関ではビワを沢山植えていたのをなつかしく思い出しました。
陽射しが温かそうなので,午後散歩に2人で出かけました。結構底冷えがしたので、お店に立ち寄って、マスクを買いました。不織布マスクと書いてあったり、高密度フィルターSYNTEX MB採用などと書かれていますが、MBが何の省略かがわかりません。白元のホームページを見ることにして、さっそく使用しました。
引っ越ししたために、住所が変わりましたので、去年の内に郵便局に変更手続きをしたのは、勿論のことですが、年賀状は十二月二十五日までに投函しましたら、元旦に大部分が相手方にとどきましたが、相手の住所が変更されていた場合、配達ができないので、二十五通が戻ってきました。相手側が私の新住所を知らない場合には、転送されて来ました。それで、年賀状用の住所録の訂正をして、来年用に作り上げました。そして二十四〜五枚の追加を書きました。出来上がったので安心して、お茶をいただきました。お菓子に枯露柿をいただきました。
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