先日、18日のブログでお分かり下さると思いますが、私は毎年つくしを食べては春の到来を喜んでいました。東京に引っ越して来てからは、つくしのことを諦めていましたが、来年までにはつくしの生えそうな場所を探しておこうとは考えています。私はつくしには強い郷愁をもっています。中学生のころ長く病気をしていた父につくしをとって来てあげると非常に喜んでくれたので、何度もつくしとりに行ったのをおぼえています。主として富雄川(淀川ー木津川の上流)の堤防にいきました。かなり遠いので、毎回自転車で行きました。あるとき、自転車にまたがったまま堤防を斜めに片足を地面におろしながら、ゆっくり走り降りようとしたのですが、猛烈なスピードになってしまい、一番下まで行き、ハンドルで胃袋周辺が突かれてしまい、しばらく、痛みでうなっていました。そのことは誰にもいわずにおりました。その後も父が亡くなるまで二−三年間春にはつくしをとってきました。後になってアメリカに留学したときもつくしが恋しかったわけは父の笑顔を思い出せるからでもあったからでしょう。日本に帰ってきてから毎年春にはつくし採りをしていました。寒い冬の土手や田んぼ道で春が来るのをひたすら待っていて、春が来ると頭を出してくるのですね。実は今日もまたつくしの煮たのを送って頂いたのですが、四本だけは、摘み取ったばかりのつくしでした。もうほとんどがスギナになっていたようですが、すぎなが多くなって居る中から食べられるつくしを採って、わたしのためにおくってくださったのです。この友人の優しいお心に感謝の気持ちでいっぱいです。
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