« 高校野球 | メイン | すてきな百合の花 »
岩国基地といえば、アメリカに長期滞在した我々が帰国してきて困ったところで、子供達の小学校をどこにするかという悩みでしたが、「なるようになる」しかありませんでした。親の職業は日本の大学の英語の教師ぐらいでしたが、アメリカの幼稚園や小学校に通っていた子ども達は日本語の幼稚園や小学校に行かねば日本語を習うことができませんでした。これは子供達にとっては大変なことでしたが、岩国の基地の学校を諦めて下関の日本語の小学校に通い出しました。こうしてやっと日本にゆっくり腰をおろして住み始めることが出来ました。
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。
終戦後日本に戻られても、様々な大変さがあったのですね。 なるようにしかならない体験は、人に動じない強さと寛容さを与えますよね。今、命があったからこそ言えることかもしれませんが。
「艱難、汝を玉にす」・・「No cross, no crown.」
投稿情報: ミーコ | 2017年8 月18日 (金) 01:15
私の場合、終戦後というのは米国と韓国との関係のことで、第2次世界大戦のことではございません。 アメリカの大学で理化学部門の大学院に留学されていた日本人はかなりの人数でみんな優秀でした。英米文学で大学院に留学する日本人は非常に少なかったです。どの学部でも博士号はPh.Dで修士号はMAと呼ばれています。主人は Ph.Dで私はMAでした。
投稿情報: jodie m. | 2017年8 月18日 (金) 08:47
そうなんですね。米国と韓国ということは、朝鮮戦争後ということなんでしょうか?
それぞれの終戦があるのですね。
投稿情報: ミーコ | 2017年8 月18日 (金) 20:45
この記事へのコメントは終了しました。
終戦後日本に戻られても、様々な大変さがあったのですね。
なるようにしかならない体験は、人に動じない強さと寛容さを与えますよね。今、命があったからこそ言えることかもしれませんが。
「艱難、汝を玉にす」・・「No cross, no crown.」
投稿情報: ミーコ | 2017年8 月18日 (金) 01:15
私の場合、終戦後というのは米国と韓国との関係のことで、第2次世界大戦のことではございません。
アメリカの大学で理化学部門の大学院に留学されていた日本人はかなりの人数でみんな優秀でした。英米文学で大学院に留学する日本人は非常に少なかったです。どの学部でも博士号はPh.Dで修士号はMAと呼ばれています。主人は
Ph.Dで私はMAでした。
投稿情報: jodie m. | 2017年8 月18日 (金) 08:47
そうなんですね。米国と韓国ということは、朝鮮戦争後ということなんでしょうか?
それぞれの終戦があるのですね。
投稿情報: ミーコ | 2017年8 月18日 (金) 20:45