戦後の食料難の時に、サツマイモを植えました。小学校の運動場の一部もサツマイモ畑になっていたのをおもいだします。それほどの食料難時代でした。米のごはんが欲しいのにサツマイモしかないとき、そのサツマイモの美味しさなどは問題外でした。不平などは言えませんでした。写真のような鳴門金時が食べられたら、幸せだったでしょうが、鳴門金時を食べられるような環境ではありませんでした。今では、本場の徳島から送ってきてくださったのを蒸かして賞味させていただいてます。これを頂くと、デザートになります。緻密な皮の表面が、繊維の少ないほくほくの中味を包みこんでいます。
ほくほくの 鳴門金時 ほおばりて
笑顔絶えさず
うなづきつづく
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